話題の多くは、案外昔から誰かが口にしている #アベプラ #数学教育 #教師のバトン

ブログ投稿が1ヶ月以上空いた。

 

この間、前回の記事で挙げたアベプラ側がお金の教育、数学教育について特集を組み、番組を公開していた。私自身はこの問題について考えをまとめるに至っていないが、番組の鮮度が落ちないうちに簡単にまとめる。

これまでと違い、今回は国語についての話題はなし。

また、ブログの終盤で「#教師のバトン」の話題にも多少触れるのでご注意。

 

【お金教育】ひろゆき「お金が無い人のための教育をすべき」森永卓郎フリーランスの王 株本祐己と熱論!高校で資産形成の授業は必要?お金の勉強って何をすべき?【学校】|#アベプラ

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【天才数学者】人生に必要?算数で十分?文系でもマスト?「理論的に考える癖をつけるため」天才数学者×ひろゆきが議論!【メトロノーム】|#アベプラ

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できれば、これらのノーカット版の閲覧をお勧めしたい。1年程度たつと公式ページからは消滅するようなので。

お金教育 https://abe.ma/3fkukDQ

数学教育 https://abe.ma/3ebThiI

 

 

さて本題。

これらの番組で私が感じたことを僭越ながら述べさせていただく。

 

 

1.お金教育について

お金に関しては、経済・財政にも詳しいゲスト(森永卓郎氏・株本祐己氏)を交えて話が展開されていた。私自身が経済問題に詳しくないので彼らの話の真偽をつかみかねるが、この特集での結論は「原理的に、役に立つお金教育は不可能」

前回の古文漢文不要論の延長で見ていた側としては、「だったら、お金教育と比較して古文漢文不要論を出すこと自体が結局ナンセンスなのでは?」と率直に思った。

 

以下詳細。

前回の記事で取り上げた古文漢文不要論の番組内での問題意識は「生活に困窮する者には、古文漢文のような実用性の見出しづらいものより、役所の行き方のような社会の生き方に直結するものを教えるべき」というものだったはずだ。そして、今回のお金教育は後者の「社会の生き方に直結するもの」の例として挙げられている(番組の冒頭もそうした導入になっている)。

しかしながら、少なくともお金の教育については「当事者の利害が絡むため、本当に役立つことを学校が教えることは原理的に困難」という趣旨の発言があった(直接の発言者は番組プロデューサー若新雄純氏)。その結論を番組側が受け入れるなら、「古文漢文の教育に実用性があるかどうかはともかく、原理的に教育困難なもののために時間を割くのは誤りである」と結論づけるほかないだろう。

番組側がそこまで考えていない、と言われればそれまでだが。

 

もっとも、この番組の結論「原理的に、役立つお金教育は不可能」自体に私は疑問を持っている。ゲストが論拠として挙げた当事者の利害関係については私もおぼろげに同意するが、抗う術は本当にないのだろうか?

そもそも、今回の議論はゲストの立ち位置からして経済サイドから見た議論であり、教育サイドでの意見がほとんど取り上げられていない印象を受ける。つまり、学校教育や現在の社会制度という制約(ゲストの言う利害関係を含む)の中、どこまでの指導が可能なのかは別途議論されてしかるべきだと考えるのだ。少なくとも、ゲストの方々が満足する水準か否かは別として、現状の中学校・高校の社会科や家庭科などでこの手の指導はなされているはずなので。

・・・以下のTweetのような致命的な問題はあるにせよ。

 

お金の教育に関しては私も知識不足だが、今後も勉強していきたい。

 

 

 

2.数学教育について

こちらの番組上の問題意識は2つ。

1つは、すでに古文漢文不要論を特集したので、ならば数学不要論もやってみよう、というもの。もう1つは、早稲田大学政治経済学部の入試科目に数学IAが追加され話題を呼んだこと。こちらではゲストに千葉逸人氏を招いて議論が交わされた。

こちらについては冒頭からひろゆき氏が「政治経済学部での学びに数学は必要。しかし、それ以外の文系分野で有用な専門知識のある人にとっては不要」と立論しているため、私としては出鼻を挫かれたまま番組が終了したな、というのが率直な感想。SNS上の感想を見る限りでも、数学不要論そのものより数学者の浮世離れ観が印象に残ったとする発信が多い印象を受けた。

こちらについては、その後の議論の中で出てきた論点が「論理的思考が重要」というありふれたものしかなく、議論というよりは雑談という印象である。論理的思考を学ぶのはどこまで有効か、論理的思考を学ぶのに数学は本当に適しているのか、という議論の余地はあったと思うし、私自身もその点については疑問に思い続けてきたからである。それこそ、昨年から取り上げている「論理国語」ではだめなのか、と。

 

 

同じAbemaの番組なら、2年前に話題になった橋下氏の番組のほうが(数学の話題としては一瞬だったが)反響があった。

times.abema.tv

こちらの番組はすでに閲覧不可になっているが、「社会の多様なニーズにこたえるために学習の選択肢を増やせ。少なくとも自分にとって、化学式や三角関数は必要のないものだった」という趣旨の発言が橋下氏からなされていたことを記憶している。

個人的には、「そもそも化学式や三角関数は必修じゃないです」という突っ込みを持ちつつも、「選択肢」という意味で当時の橋下氏の主張に賛同する立場をとる。ただし、当時のSNS上では三角関数不要論そのものにフォーカスが当たって橋下氏が批判を受けるという残念な展開を見せた。その後、橋下氏からの釈明がなされたが、橋下氏を批判する側がその釈明に耳を傾ける様子を見せないまま議論は収束したのを記憶している。

togetter.com

president.jp

なお、上2つのリンクでは理数系科目の話題だけでなく、教員免許の話題も少なからず取り上げられている。最近話題を呼んでいる「#教師のバトン」の話題が気になっている方は一度ご覧になることを勧める。

 

そして「#教師のバトン」に関する特集も別途アベプラでは取り上げられていた。長くなるのでこれ自体の感想は省略。関心ある方はご視聴を。

#教師のバトン】現役教師「閉鎖的な組織」先生たちがブラック労働をTwitterに暴露?前川喜平元文科事務次官と考える教師の働き方改革【EXIT】|#アベプラ

www.youtube.com

ノーカット版 https://abe.ma/3a2bGxc

 

 

3.今回のまとめ

以上、今回の感想を簡単にまとめると、

お金教育→「原理的に不可」としたけれどそれでいいの?(素人の感想)

数学教育→冒頭の「政経では必要」で完結。議論の余地は残るが雑談に終始。

という感じ。もっと掘り下げてほしいというのが視聴者としての私の感想だが、ブログや動画の配信を始めてから、そんな掘り下げたコンテンツ制作の苦労を痛感しているのでもどかしいところ。

 

そして、今回のブログ記事をまとめながら思ったこと。

SNS上で話題になっていることの多くは、案外昔から誰かが口にしていることなのだな、ということだ。裏を返せば、それだけこの手の話題を継続的に追っている人間が少ないということでもあるだろう。

今後も時間の許す限り、情報収集を継続していきたい。