政権批判の自由はあれど、雑な推論はやめましょうという話
かなり久々にブログを更新する。
最近の発信はTwitterとTogetterに傾倒してしまったが、今回の話はTwitterで発信するのに向いていないと考え、ブログにて発信する。
ここ最近、国語教育の話ばかり発信している私だが、今回はやや政治の話。苦手な方は注意して読んでいただきたい。
【本文】
ここ数日、論理国語に関する以下の記事が再びSNS上で注目を集めている。1年前の8月、私が国語教育の発信を始めたきっかけの記事でもある。
その背景は10月末の衆議院選挙にむけて政権批判したい人が、批判材料として新課程国語を批判するというもの。例えばこれ。
現代国語の授業では、小説を読まず実用文の授業に変えると。
— dounaga (@dounaga3) 2021年10月19日
「文科省は大学入試を変えることで、高校の授業や教科書を無理やり変えざるを得なくするという手段をとったのだ」
本当の教育って、何。
https://t.co/JnF7G5TD1V
「本を読めない人を育てる」教育!来年度から現政権の手を染めようとしている暴挙のうち、とくに魂胆の見える例がこれだろう。大学受験と高校の国語から「文学」を消そうとしている。もし現政権のままならば、若者は人間のあかしさえも奪われ、実用文だけ読めればいいロボットとして育てられる。★ https://t.co/H8LFqGzlc1
— 巖谷國士 (@papi188920) 2021年10月20日
両者ともにすさまじい勢いで拡散され、賛否を読んだ。
引用ツイートを見る限り、やはり新課程国語や文学軽視を批判する者が多め。
前者のツイートは純粋に記事に困惑していた様子だったので情報提供。第3者を巻き込む形にはなったが、割と良好なやり取りができた(多分)。
現在は私のくだらないツイートのフォロワーにもなってくださった。
失礼します。長らく新課程国語の動向を追っている者です。
— ozean-schloss (@ozeanschloss) 2021年10月22日
現在の国語読解について、国際的な学力調査で実用文の読解力不足が指摘されており、新課程はそれを受けてのものになっています。
国が関与する前に学校判断で改善できれば良いですが、現状はそうなっていません。
なるほど。ぶたおさんもozean-shlossさんもありがとうございます。
— dounaga (@dounaga3) 2021年10月22日
文章が読めない学生が増えていることも、今の国語教育の問題もわかるのですが。不足を補うために時間数を増やすならともかく、削るというのは危険だと思ってしまうのです。学生や学問をお金に換算する方向にしか、いかない気がして。
dounaga様、コメントありがとうございます。
— ozean-schloss (@ozeanschloss) 2021年10月22日
今回の新課程は国語に限らず、社会の地理必修、数学の統計強化、理科の探究など多くの再編があります。それぞれの思惑でこうした結果となっており、時間数を増加するのはかなり困難と感じます。
棄却はされましたが古文漢文も削減の対象でした。
古文漢文の件も以前聞いて慄いていました。学校教育の時間は限られていて、その中でどう内容を充実させるかは、とても難しい問題なんだろうと思います。ただ、役に立つ知識ってなんだろうか、学問ってなんだろうか、子どもにつけて欲しい生きる力ってなんだろうか。そんなことを考えてしまうんです。
— dounaga (@dounaga3) 2021年10月22日
他方、後者は実用文しか読まない人間をロボット呼ばわり。1年前の榎本氏といい、彼らは読書ジャンルの違う人間の気持ちへの想像力が不足しているように思う。文学愛好家が時々口にする「豊かな想像力」はどこへ行ったのか?
ともかく拡散力の強さによる第3者への影響を考慮し、ブロック覚悟で反論を試みた(ややきつめに)。
長年この問題を追っている者です。
— ozean-schloss (@ozeanschloss) 2021年10月21日
文学と実用文の二分が困難なのは同意ですが、日本の国語教育が長年文学傾倒と批判されて来たこと、国際調査にて読解力の課題が問題視された背景をご存知ないのでしょうか?
政権批判は自由ですが、事実誤認な貴方の発信も相当にまやかしだと私は感じます。 https://t.co/vQwEFL2rVm
文学を読めば人間的で、そうでなければロボットとみなす選民意識は正直許し難い。元ネタのダイヤモンドの記事でもせいぜい非教養人呼ばわりでとどめていると言うのに。
— ozean-schloss (@ozeanschloss) 2021年10月21日
この方は多分、文学も実用文も主観まみれでしか読めていない。そうだとすればロボット未満だ。残念ながら。 https://t.co/aOOfXydbr9
リツイートも投票も自由にすればいいけれども、新課程国語に関するこの方の発信自体が相当に事実誤認。というより思い込みで発信しすぎ。
— ozean-schloss (@ozeanschloss) 2021年10月20日
”根拠のない分断”と断じるだけの情報源は何だろうね?私の知る限り、新課程推進派は実用文読解を強化したいだけで誰一人文学との分断を主張していないのだが。 https://t.co/M9oARAUz49
私のツイートが影響したかどうかはわからないが、この方のツイートはトーンダウン。RTやいいねは多いが、賛同するリプはほとんどなくなった。
反論もできたはずなのに、本人含めて反論はゼロ。
こちらは追撃を続けるだけ。
いまの日本、たとえば政府の広報なども実用文だが、言葉の意味のズラシや、故意に曖昧な表現があるので、「文学的」な理解力がなければ真意を読めない。文学は詩や小説に限定されず、広く言語活動全般にわたるものだ。文学を実用文と切り離したり、論理と対立させたりすることはできない。★#政権交代 https://t.co/aDpC40hU28
— 巖谷國士 (@papi188920) 2021年10月22日
無反応な某氏。
— ozean-schloss (@ozeanschloss) 2021年10月23日
レス:文学と実用文にグレーゾーンがあるのは理解しますが、対立といいますか区別しないでどうやって理解するのかお教え願いますか?
貴方の発信を見る限り、教育の議論と政治の議論が混在していますし、ご飯論法のような霞が関”文学”を肯定したいのか否定したいのか(以下略) https://t.co/OihO2KGyAJ
いま横行している右と左、資本主義と共産主義、保守とリベラルなどの「二項対立」は、言葉の意味も論理も度外視したデマやプロパガンダにすぎない。しかも現政権はそのために莫大な資金を投入しつつ、メディアを支配して選挙に備えている。今回の選挙こそ、そんな政治を拒絶する最後の機会である。★ https://t.co/dWwLziFU4a
— 巖谷國士 (@papi188920) 2021年10月22日
何度も失礼します。二項対立は複雑な問題を簡潔に理解するため必要です。ただしメディアも国民もそこに留まってはならず、その点に限って貴方の意見には賛同します。
— ozean-schloss (@ozeanschloss) 2021年10月23日
貴方の政権批判自体を妨害する気はないですが、私ごときに反論できないようでは政権を動かすことなど不可能です。 https://t.co/EofIH2iAiz
確認した後者の方の最後のツイート。このブログを書いている段階では反論しようかどうか思案中。
現政権にとって、教育は「飼育」でしかないからだろう。知性も人権も求めず、「お国の役に立つ」ために生きる家畜みたいな国民の養成。さらに現政権のいう「科学技術」には、科学(サイエンス=知)がなく、技術だけがのさばる。「豊かさ」も利権、金儲けのことでしかない。★#政権交代 https://t.co/ySpYWEjAg7
— 巖谷國士 (@papi188920) 2021年10月23日
衆院選をきっかけに新課程国語に注目すること自体は悪いと思わない。1年遅れではあることには注意しつつも、納得するまで議論すればいい。
かくいう私自身が1年前からの発信だし、何より国語と無関係な部外者だ。
ただし、批判対象について下調べをするのは最低限のマナーだろう。事実誤認のまま煽情的な発信をすることほど見苦しいことはない。良くて徒労に終わり、最悪の場合は自分の足元をすくう形で帰ってくる。
表現の自由には、その程度の責任は伴うのだ(私の解釈)。
最後に、最近(文学的表現に苦悶しながら)読み進めているエラリー・クイーンの一節で閉めよう。
「真実とは不愉快なものだ。だが少なくともそれは真実”なのだ”。真実を知ればそれは知識となる。知識を持てば、君たちは永続的な決断をすることができる。」
(青田勝訳『災厄の町』p308より)
どうかこれ以降、私から政治的な発信をしなくて済みますように。