ゆっくり文庫風動画2022あと語り雑記

長らくブログを休んでいた。

リハビリがてら近況を書く。

 

2022年9月までに、ニコニコ動画で9本の動画を投稿した。殆どは日頃お世話になっているゆっくり文庫関係者の取り組み支援を目的としたものである。以下列挙。

 

1.2022年3月、アガサクリスティ長編『ABC殺人事件』。

この動画は、ゆっくり文庫系投稿者のふかみどり氏が作成した動画のリメイク。何気に私がゆっくり文庫系動画でエラリー・クイーン以外を作成した最初の動画となった。

元動画が2022年1月頃に削除されていたことを契機に作成。

動画作成者であるふかみどり氏の「削除」という判断を汲むこと、とはいえ消滅してしまったことへのもどかしさから、「うっかり復刻」という形で投稿したというのが真相。盗作となってしまわないよう元動画の構成を再現しつつオリジナル要素も意識的に盛り込んだ。なお、本編では制作者の名前を伏せ、終盤のスタッフロールにて投稿者の名前をこそっと掲載してある。

ただしその4日後、元動画の制作者ふかみどり氏はまさかの復帰。

それだけでなく、かなりのハイペースで『ABC殺人事件』本編を投稿し、無事に『ABC殺人事件』を完結させた。正直予想外の形であったが、私の動画が良い意味での投稿活動の活性化につながった形だ(のちに本家ゆっくり文庫氏からもエールを頂き、めれんげ氏からはファンアートもいただく)。

なお、『ABC殺人事件』の前後でもふかみどり氏は精力的に様々な動画を投稿されている。ツイッターやメールなど直接的なやり取りができない環境ではあるが、ふかみどり氏の創作活動は今後も微力ながら応援したい*1

 

 

 

2.2022年4月、エラリークイーン短編『大統領の5セント貨』(+関連動画3つ)。

昨年に続くエラリー・クイーンの動画。昨年末よりエラリー・クイーン長編を作る気力がなかったため、短編で作成。もともと物語や人間ドラマより雑学の方が性に合っていたため、歴史うんちくを盛り込める本作を選択。物語としても知的さと話の盛り上がりが良かったのも好印象だった。

詳しいあと語りは省略するが、本動画のポイントは

  • エラリークイーン長編『緋文字』の前日談という位置づけ*2。なお私が『緋文字』を作成するかどうかは未定。

  • 登場人物は原作通り・・・ではなく、依頼人の父トビアスが兄、鑑定人の1人が『エジプト十字架の謎』のヤードレー教授の友人など、いくつか改変。
  • 150年前の回想は依頼人マーサから軽く語られるのみ。原作に登場したジョージ・ワシントン依頼人の先祖の台詞も全カット。
  • ラストはワシントンの生誕を祝いながら桜の木を切り倒すのではなく、生誕を祝いながら発掘された宝箱のカギを開けるに変更。原作通りだと依頼達成にあいまいさが残ると考えたため。ちなみにワシントンの誕生日を2月21日と勘違いしたまま投稿するという痛恨のミスを犯している*3
  • おまけとしてジョージ・ワシントントリビアを紹介。内容と雰囲気はテレビ番組「トリビアの泉」を踏襲。本編の感動が台無しになるが、21世紀の現代の視聴者向けに事実と整合性をつける必要があると考え、あえて盛り込んだ。

ちなみに本動画の制作中にニコニコ動画「10秒動画祭」という企画が進行していた。企画の応援を兼ねて、この動画を切り出す形で2本(そして無関係の動画も1本)、動画を制作し投稿している*4

 

 

3.2022年8月~9月、エラリークイーン長編『ダブル・ダブル』(予告編+問題編2つ)

きっかけは越前敏弥氏による本作の新訳出版。これまでエラリー・クイーンの創作動画を作ってきた延長で新訳出版の宣伝・購入促進につながればという思いで”勝手に”制作した(私は新訳出版・流通とは全く無関係である)*5

問題編のみで60分の動画になったため前後編に分割。解答編は『ローマ帽子の謎』同様省略してもよいかと思ったが、コメントを見るに解決編を望む声もあり制作予定(未制作+本業のため公開は早くて今年12月)。

本動画は過去のエラリークイーン動画以上に変更点が多め。主だった点のみ列挙。

  • エラリーと依頼人リーマがライツヴィルに戻る場面から本編スタート。それ以前のやり取りは回想で語るが、原作よりかなり簡素にしてある*6
  • 前半は事件の流れを優先したため、依頼人リーマとエラリーの親密なやり取りも中盤まで封印。前半でのリーマは内気で社会性に乏しい少女という地味なキャラ付けになってしまった*7
  • 本編は『フォックス家の殺人』のデイヴィー・フォックス視点で話が進行する*8。原作はエラリー視点であるが、推理小説として事実関係の客観性を担保する必要性からこのアイデアとなった。人選の条件はエラリーと登場人物との人間関係を壊さないことと、ライツヴィルの動向にある程度詳しいこと。
  • 町の哲人ハリー・トイフェル、診療所の女中エシィ・ピーガン、ライツヴィルの仕立て屋ワルド―兄弟は未登場。その他、多くのモブが未登場*9。原作より殺人件数も1つ減り、いくつかの事件の死因も大きく変更された。
    • 第2の事件:拳銃自殺→自動車事故
    • 第5の事件:自動車による圧死→転落死
    • 第6の事件:転落死→焼死
    • 第7の事件:焼死→なし
  • 女社長マルヴィナ・プレンティスとその部下フランシス・オバノンはメディア関係者から工場関係者に変更*10。変更理由はいろいろあるが、染色工場の株が度々話題になる割に工場関係者がまったく登場しないことへの不満が最大の理由。
  • 後編ラストで「読者への挑戦状」を挿入。タイミングは”チーフ”の襲撃直後。

 

4.2022年9月、アルフォンス・ドーデ『最後の授業』

エラリークイーン以外の動画第2弾。9月上旬のニコニコ動画企画「ソフトウェアトーク朗読劇場祭」のために突貫で作成。大まかな経緯はこの動画の10:08以降を参照。そして3月の投稿の延長で本家ゆっくり文庫様(正確には聞き手のきめぇ丸)から「ふかみどり氏を挑発した人」認定されてしまう(涙)*11 

この動画で盛り込まなかった補足をするなら、私が本企画に参加した根本理由、ニコニコ動画で投稿を続ける理由が以下の3点にあること。30秒という制約では冗長であることと、紹介作品への愛が語られるであろう本家ゆっくり文庫氏の動画(もっといえば朗読祭企画の阿久氏)に水を差す可能性を懸念したことから割愛した。

  • 投稿プラットフォームであるニコニコ動画界隈への貢献
  • 論理国語に端を発する国語教育への関心(現行の文学推しには批判的)
  • より関心度の高い歴史系・科学系・社会系の知への探究と発信

そして『最後の授業』という作品は著作権への配慮、制作期間の短さという制約の元での選択だった。私の本作に対する思い入れは作品内容と歴史的背景のギャップへの関心(そして界隈への貢献)であり、作品愛というにはかなりいびつな理由。とはいえこうした切り口で文学を語り、またそれが容認される風土が広まってほしいというのも本音。作品に没入できない私なりの文学の楽しみ方である*12

 

 

文学愛をリスペクトしつつ、文学そして言語・学問への多様な視点が共存すること。それが動画投稿者兼SNS発信者としての私の望みである(理想論であることは承知しつつ)。

*1:ちなみにふかみどり氏が『ABC殺人事件』本編を投稿しなかった場合、時期をおいてから私の手で本編作成を考えていたのは内緒。

*2:『緋文字』では、本作と同名の依頼人マーサが秘書ニッキーの友人として登場する。設定上、本作のマーサとは別人(名字も異なる)なのだが、秘書ニッキーの設定も作品ごとにバラバラなので統合した。

*3:一般会員のため修正は不可、かといってコメントを入れると動画に没入できなくなるためやむなく放置している。

*4:『大統領の5セント貨』予告、おまけの冒頭ダイジェスト、C.P.スノーの書籍紹介の3つ。今年のある時期から、私のツイッターおよびニコニコ動画のアカウントでは雪の結晶を模したアイコンをつけているが、それはC.P.スノーへの敬意から。ただしスノーの動画は視聴者の関心をあまりひかなかった様子。

*5:いつだったか、越前氏はエラリー・クイーン作品群の新訳出版で「売れなければ続編の翻訳が実現しなくなる」と述べていた。クイーンは日本の法律でも著作権が切れていないため動画作成を大々的にできないのだが、知名度の割に二次創作が少なすぎるため、微力ながら非公式の二次創作動画を作り続けている。原作に損害を与えたくないためせめて一般会員による無賃労働というスタンスをとっているが、私の完全な自己満足である。

*6:中盤の見立て殺人についての説明も簡素になったが、トム・アンダーソンの人物描写が割愛されすぎて「乞食」の見立て説明がかなり強引になってしまった。ニコ動のコメントでも指摘が出るほどに。

*7:新訳出版を担当した越前氏はリーマが大のお気に入りらしい。私の動画はまだ認知されていないようだが、越前氏に怒られないか実は若干心配している。

*8:原作ではフォックス家と長らく疎遠であることが言及されている。デイヴィーの立ち位置も『フォックス家の殺人』の後日談として矛盾がないようにキャラ付けをしたつもり。なお、デイヴィーの妻リンダも途中から登場する。

*9:タクシー運転手エド・ホチキス、居酒屋の店主ガス・オールセン、デイキン署長の部下ジープ・ジョーキングなど。例外として弁護士ホルダーフィールドの秘書フロッシー・ブッシュミルは容疑者並みに出番が増え、ワルド―兄弟に代わってエラリーの脅しを受けることになる。

*10:原作と異なり、プレンティスとオバノンは診療所の味方で、メディアに圧力をかける立場。しかし2人の性格設定はほぼ原作通りで、話の展開も違和感なくほぼ同じ。なお、原作よりプレンティスと研修医ケネス・ウィンシップのあからさまな対立描写が増えている。

*11:これとは別に、本家ゆっくり文庫氏からは私が熱心な界隈ウォッチャーであること、『最後の授業』の内容と背景のギャップが面白いとコメントされた。

*12:私は無邪気な文学愛自体は否定しないし、できれば水も差したくないが、様々な思惑が入り混じる教育や学問の世界で文学愛ばかりが語られるのは正直困るのだ。個人的に居心地が悪いというのも正直あるが、それ以上に論理国語に象徴される非文学的文章重視(もっと言えばリテラシー重視)の流れに対する否定的かつ煽情的な言説をとにかく黙らせたい。そうでなければ、教育・学問においていつまでたっても建設的な議論ができないと考えるから。付け加えるなら、内輪の文学愛が国語関係者間でくすぶっている(納得していないが迂闊に発信もできない)と思われる現状も国語教育において決してプラスにはならないと私は考える。