新年早々怒りの論理国語批判、国語関係者の黙殺が続いている件  #国語教育 #論理国語

新年早々、こんな記事を目にした。

dot.asahi.com

私が類似の記事から新課程国語の問題を取り上げて1年半ほどたつが、今頃になってこんな発信を見ることになるとは思わなかった。
しかも今回の発信者は山口謠司氏(文献学者・大東文化大学)。
国語の一領域、漢文の専門家からである。


1週間ほどTwitterで様子見をしていたが、今回も賛否が分かれていた。
今回に限ればやや記事に否定的なコメントが多めの印象。
コメント数が多く、今回は3つに分けてあるので、よろしければ下記Togetterをそれぞれご覧いただきたい。

togetter.com

 


元記事の発信の問題について、2020年の榎本氏とほぼ同趣旨なので言及する必要はないかと当初は考えた。が、SNS上での反響が高い一方、肝心の国語関係者の反応が観測範囲でもとにかく鈍い。山口氏の発信の雑で擁護しづらく黙殺しているというのが本音だと私は推測する。

私も彼の意見にはほぼ反対の立場だが、新課程開始前にここまで雑な主張をされても面倒なので、今後を見越して反論を試みる。

 

山口氏の記事の問題点は大別して「文学による情操教育を絶対視しすぎること」「学習指導要領や新課程推進側の見解にとかく無知であること」の2点に集約される。以下列挙。

  • 論理重視、文学軽視の流れを「明らかにおかしい」として立論としており、新課程の背景を(批判するにせよ)理解しようとする姿勢が伺えない。端的に言ってはじめからケンカ腰である。
  • 江戸時代の教科書『庭訓往来』と明治期の文豪(夏目漱石正岡子規)を引き合いに出し、江戸時代に逆戻り、深く物事を考えなくなるという推論に飛躍がある。”実用書を与えると考えなくなる”はそもそも当時の事実として存在したのか?そもそも比較対象が明治期の文豪なのはなぜ??文豪以外に明治期に多数の偉人がいたことを思えば、山口氏は文学の世界しか視野にないと邪推されても仕方ないだろう。
  • 契約書や取扱説明書のような文章に論理性を超える力はないと断ずる根拠は?契約書は確かに平易に書かれているものもあるが多くは建前上でしかない。そもそも山口氏が契約書の解説本や共通テストサンプルに言及する様子はなく勝手なイメージで言及している可能性が高い。そもそも論理国語自体、実用文以外に評論なども扱う科目である。批判対象である論理国語を不当に矮小化していないか。
  • 「自分の範疇を超えた他者の気持ちがわからない人」に育つ違いないと断ずる根拠も不明。私のように文学への関心を失った者がこれを聞いて何を思うかへの想像力が不足している(私個人は道徳性を否定された気分になる)。事例として挙げる「ごんぎつね」なども高校国語の事例としては不適当だし、そもそも高校国語は人格形成(情操教育)のみを目指していないし、人格形成重視の国語教育を問題視する国語系の論考も少なからず存在する。
  • 後半では大学入試から論理的文章が小中学校に前倒しで行われることをも危惧する文章があるが、山口氏は論理的文章をいつ習わせるなら容認するのだろうか?批判のタイミングが時期尚早であるし、結局のところ学年無関係に論理的文章を扱うこと自体に反対としか読めない。
  • 「文学は論理を超越する」は論理教育を是とするなら完全に悪手。論理的でない要素を含む文学は本質的に論理指導に適さないことになる。論理学自体が文学のようなレトリカルな要素を取り除くことで発展した経緯を真っ向から否定していることに山口氏は気づいているのか?
  • 論理指導をするならフランスのバカロレア式にすれば的主張も理解に苦しむ。それが実現した場合には現代日本文学どころか現行の古文漢文が大打撃を受けるが山口氏はそれを是認するのか?
  • 教科名が「日本語」でなく「国語」と呼ぶ意味を考えよと締めるが、すでに学会レベルで「国語学会」的な表現は少数派になっている点を山口氏はどう考えるのか?


怒り任せであるせいか、山口氏の論考は論理重視の流れを批判する立場でありながら根拠不足や論理飛躍がまま見られる。厳しい言い方だが、”論理国語批判が論理性に欠けている”という痛々しい事態と捉えられても仕方ない。


そして、この件とは別に気になるのが、この記事について国語関係者はほぼ沈黙している点。部分的にも山口氏に同意する/同意しない点があるなら切り分けたうえで発信するのが前向きな対応だと私は感じる。沈黙したまま新課程国語が4月からスタートするを彼らは容認するのだろうか。

 

私はこの期間中、数名の発信者に議論を試みた。

個人特定につながるため具体的な引用を避けるが、互いに納得できる議論ができた場合もあれば、そうでない場合もあった。幸いにも議論の最中にブロックされる事態は今回も回避できた。

ただ、共通するのは、教育関係者か否かを含め、多くがそもそも学習指導要領をまともに読んでいない印象。あくまで観測範囲と断っておくが、学習指導要領の根拠を求めると話を逸らしたりトーンダウンする方がほとんどなのが実情である。

 

山口氏の記事の反響は、1週間たった今かなり沈静化している。
私としては専門家からもっと掘り下げた論考を見てみたい。

 

・・・と思った矢先、今度は読売新聞の社説。

www.yomiuri.co.jp


読売新聞は私が知る限り、他紙ほど新課程国語については言及してこなかった印象。
何をいまさら、とだけここでは言及しておく(同種のツイートも観測済み)。

一応、ツイッター上でのその時のつぶやきを引用しておく。

もし私への意見があればツイッターでもブログでも遠慮なくどうぞ。

 

そして、可能であればブックマークや拡散もお願いしたい。

(個人的には、名前が知られないまま同種の主張が広まるのが理想だが)